鶴田畳店
代表・1級技能士 笠 大祐
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あまり知られていない畳の魅力「昔の伝統」なんて言わせない
同級生との会話がつまらない…「大人の世界」に入りたかった
木造住宅の和室や、飲食店・旅館などのお座敷、公民館や柔道場などにしか使われない、“ひと昔前”の伝統工芸品…。多くの人は、畳に対してそういうイメージを持っておられるのではないでしょうか。
現在は畳屋の代表者であり、畳製作1級技能士である私も、実は、10数年前までは同じように感じていました。祖父が畳屋を経営しており、私の生家にも畳の部屋は一応ありましたが、その部屋に特別な思い入れがあったわけではなく、自宅にいる時は、主にフローリングのリビングで過ごしていました。そんな私が、畳の魅力に気づいたのは17歳の終わり頃。祖父の畳屋の手伝いを頼まれたのがきっかけです。
ごくごく普通の子どもとして育った私でしたが、なぜか中学校の半ばくらいから『早く社会に出て働きたい』と思うようになり、高校には行かずフリーターとして働き始めました。別に、学校生活になじめなかったとか、不良少年になった(笑)とかではありません。小学生で少年野球チームに入団し、中学では野球部での練習に明け暮れる、どこにでもいるタイプの子だったと思います。ただ、小学校高学年になったあたりから、同級生同士の会話がとてもつまらなく感じ始め、中学に入学してからは、年上の人とでないと話が合わないようになったのです。
高校に行かずに働きたいという私の希望に、両親も「自分の人生なんだから」と、特に強くは反対しなかったことで、中学卒業と同時に、総菜を作る工場にアルバイト社員として入社。そこで知り合った年上のバイト学生と親しくなり、その人がバイクに乗っていた影響で、私も16歳になると同時に原付免許を取得。バイトの帰りに、スクーターでミニツーリングするのが一番の楽しみになりました。
畳屋の後に居酒屋で仕事、ファミレスでうたた寝の毎日
最初のバイト先に入って1年ほど経った頃、祖父から畳屋を手伝うよう連絡が入りました。職人が1人辞めて店が忙しくなったので、雑用で良いから手伝ってくれ、とのこでした。親に連れられて、祖父母の家に遊びに行ったことは何度かありましたが、「仕事」として行くのはその時が初めて。改めて畳製作の作業現場を眺めながら、見慣れているはずの畳が、職人の手仕事によって非常に複雑な工程で作られていること、い草の香りが何だか懐かしいような鮮烈なような、とても魅力的な香りであることを知りました。
最初の頃は本当に雑用だけで、バイト代もそれほどもらえなかったので、朝から夕方まで畳屋で仕事をし、夜は居酒屋のバイトを掛け持ちしていました。店の片付けが午前3時過ぎに終わり、そのまま帰宅して布団で寝たら起きれそうになかったので、24時間営業のファミレスのソファでうたた寝し、最低限の睡眠を確保する毎日。その時はまだ、畳屋を一生の仕事にするつもりは無かったし、原付からスタートしたバイクの趣味も、だんだんと本格的になってお金がかかるようになってきたので、とにかく色んな仕事を体験しようと思ったのです。
しかし、そうこうするうちに見習いで畳製作も手伝うようになり、畳職人の仕事の奥深さが判り始めます。私が、思いのほか熱心に畳製作に取り組んでいるのを見て、祖父母も少し驚いたのでしょう。祖母から畳作りの専門学校に通うよう勧められ、私も、どうせやるのなら基本からきちんと学びたいと考えて入学。一般の人にはあまり知られていないけれど、畳には非常に多くの種類があること、“昔の伝統”なんかじゃなく、今どきの家にもマッチするモダンな使い方があることなどを知り、本格的に畳職人の道に進むことを決心しました。
今になって判った「畳作りの基礎」を知る大切さ
専門学校を出てからは、ただの手伝いではなく、未熟ながらも職人の1人として祖父の店で働くようになります。和風の家が年々少なくなるのに伴い、畳の需要が減っていることは知っていましたが、それならば自分が一人前になって、畳の新しい需要を切り拓いていこう…。そういう想いが日増しに強まってきました。とても「一人前」と言えるレベルではなかったものの、1枚、また1枚と畳を仕上げるごとに、職人の技術が徐々に身についてくる実感も沸いてきます。
ちょうどその頃、売り上げが落ち込み、経営が少し苦しくなった時期がありました。一般の会社ならこういう時、手が空いている現場の人間が、チラシをまいたり顧客を訪問したりして、販促活動に力を入れるのが当然でしょうし、私もそうするべきだと思いました。しかし、祖父が私に命じたのは、昔ながらの『畳の手縫い』でした。畳の製作はかなりの工程が機械化されていて、よほど特殊な形状でないかぎり、手で縫うことなどほとんどありません。私は、それが何の役に立つのかちっとも判らず、こんなことやってる時間があったら、チラシの1枚でも配った方が売り上げにつながるはずだと主張しましたが、祖父は「とにかく縫え!」の一点張り。
昔気質の職人の考えは理解できない、もっと経営のことを考えないと…。その時はそう感じていましたが、やはり、大先輩の言うことは聞くものです。手縫いの知識が頭に入ったことで畳の構造がきちんと理解でき、応用が利くようになったほか、お客様に色々と質問された時にも、明確な説明ができるようになりました。
そんな祖父も、3年ほど前に他界。代替わりし、その後、私の弟にも畳職人への道を進むよう勧め、2年ほど前から職人として雇用したことで、ようやく“畳屋の主人”としての自覚が湧いてきたように思えます。純和風のもの、ちょっと古くさいものと考えられがちな畳ですが、畳の可能性は、決してそれだけではありません。今後、モダンな戸建て住宅や飲食店などにマッチするような畳を提供したり、百貨店や雑貨ショップで売れるようない草を使った小物類を開発したりして、畳の魅力を、より多くの人たちに訴求したいと考えています。
他己紹介インタビュー
浜田畳店 浜田賢司さん
3年ほど前、福岡県内で畳屋を営んでいる若手職人たちが、畳の勉強のため奈良県内の私の家にやって来たのですが、その中に笠君もいたことで、知り合いになりました。初対面の時は、非常に大人しい若者という印象を受けましたが、畳について指導しているうち、口数が少なく余計なことは言わないものの、非常に芯がしっかりしていると感じましたね。
それ以降も付き合いは続いており、いずれ、『普段は静かだけど肝心な時に頼りになる職人』になれる男だと期待しています。
1つだけ注文を付けさせてもらうとすると、仕事に一生懸命なのも良いことですが、早く嫁さんをもらって家族を持ち、落ち着いて欲しいと思います。家庭を持ち、一家の大黒柱になると、人生観も自ずと変わり、今より大きい人物になれると思いますよ。
わたしの仕事を紹介させてください
鶴田畳店は、国産のい草をはじめ高品質な素材を厳選し、公共建築物をはじめ一般住宅、店舗などに納入する畳を製造しているほか、フスマや障子の張り替えも請け負っています。
皆さんは「畳」と聞いて、緑色がかったベージュの畳表に緑色のヘリ…というイメージをお持ちだと思いますが、実は畳のヘリだけでも1000種類以上あり、畳表に使うい草にも、ひのみどり、ひのはるか、夕凪、涼風などなど、お米と一緒で色々な品種があります。い草の品種により、太さや色味、柔らかさが異なり、畳を敷く部屋の用途に応じて使い分けることで、より快適に過ごせるようになります。
また、日本では『一畳、二畳』と、畳の枚数で部屋の面積をカウントする習慣が残っていますが、最近は変わった形・サイズの畳のオーダーが入ることも増えてきました。昔からずっと同じと思われがちな畳の構造も、昔は藁100%だったものが、断熱性能の高い住居が増えているのに適応し、断熱材とインシュレーションボードでサンドして、湿気がこもらない構造に変化しています。
【鶴田畳店の提案】
●畳表の色は、いわゆる「い草色」だけではありません。自然素材の染料で着色した「カラー畳」のバリエーションが増え、リビングの一部にヘリ無しのカラー畳を置き、部屋のアクセントにする活用法もあります。
●ある大手学習塾からの提案で畳敷きの教室を実験的に作ったところ、正解率は変わらなかったものの回答率が上がったという、興味深い結果が出ました。受験生の勉強部屋など、集中力を高めたい部屋を畳敷きにすると、学習効果が上がるかもしれません。
●フローリングと違い、足裏に伝わる感覚が柔らかいのが畳の特徴。足裏は、健康状態とも深い関わりのある部分ですから、幼稚園や保育園、託児施設などに畳を導入することで、幼児の健康維持や情操の発達に役立つ可能性があります。
●現在、畳(い草)を使った草履や小物等の製作・販売を行っており、アイデア次第で、もっと多くの“畳グッズ”が生まれるでしょう。そうした畳の良さを、一般の人たちに伝えられるワークショップを開催したいと考えています。
鶴田畳店
〒812-0062
福岡市東区松島1丁目4-26
TEL 092-622-0558
FAX 092-622-1065
代表・1級技能士 笠 大祐
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