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数字の「見える化」を通じて経営上の弱点を克服

いちご会計事務所 公認会計士 足立知弘
http://www.15tax.jp

「数字」を見る仕事だけど 「人」を見ないと数字も動かない

何の目標も持てず漫然と過ごした10代の日々

たいていの人は、高校卒業後の進路を決める頃までに、『弁護士に憧れているから、あの大学の法学部を目指そう』とか、『専門学校で技術を学んで美容師になろう』など、自分自身の将来の目標を決めるものだと思います。ところが私は、小・中・高と、何の目標も無く過ごしました。小 学生の頃は病気がちだったせいで、スポーツと呼べるほどのスポーツもせず、図鑑ばかり眺めている子どもでした。

そんな〝人畜無害〞な性格のおかげで、地元の先輩や同級生からはそれなりに好かれたようで、中学校では推薦されて生徒会長に就任。その当時、校内暴力が社会問題化しており、『今度の生徒会長は生意気だから、ちょっとシメようや』という上級生グループもい たのですが、地元の先輩が『あいつは俺の知り合いだから、余計なことすんな!』と、制止してくれたそうです。生徒会がまとまらずに 悩んでいることを父に相談すると、D・カーネギーの「人を動かす」を読ませてくれて、そこから『組織運営』の基礎を学んだりもしました。

それなりに実りある中学校生活でしたが、結局、最後まで「自分の目標とは」なんて考えることもありませんでした。高校入学後も、相変 わらずの無目標ぶり。もともと、興味の無いことは教えられても覚えたくないタイプだったので、興味が湧いた日本史や世界史、古典ばかり勉強していました。学校の授 業には出てこない地元の歴史を勉強していて、〝 肥後の鳳凰〞と賞賛された熊本藩・細川重賢公の、徹底した倹約政策と人間くさい采配を知ることができたのが、高校時代の一番の収穫だったように思えます。

体調を崩して初めて知った 「目標を持つ」ことの大切さ

高校卒業後、郷里を離れて静岡大学に入学。しばらく経った頃、「適応障害」の症状に悩まされるようになりました。なにしろ、サイコロを振って出てきた大学を受験したら合格し、両親も反対しなかったので、行かない理由が無いから入学した…という状態。大学で 学ぶ目的も目標も無く、しかも、右も左も判らない土地で、初めての一人暮らし。自分がそこに居る理由も、生きている意義も、極めて希薄な状態です。内科を受診し、「とにかく飲めば治る」と言われてただのビタミン剤を処方され、飲んだら本当に治るくらい、「自分」という存在が希薄でした。

そんな中で、ふと、入学前に父に言われた言葉を思い出しました。「最低限の生活ができる程度の仕送りはするから、無理にアルバイトをするな。時間が余ったら本を読んだり、色んな知り合いを作りなさい」…。父には、息子を一人前に育てようという目標がある。そうか、私には目標が無いから、今日を生きる意欲が湧かないのだ。これじゃイカン、もっと積極的に生きよう…。そこから、大学での過ごし方が変わったように思えます。

大学2年になり、本気で勉強に取り組むようになると、経済分野の会計や経営学などに面白味を感じるようになりました。私は法学科だったので、司法試験合格を目指すか、司法書士や公認会計士を目指すかで迷ったのですが、「弁護士は、相続や離婚、倒産、破産など、〝後始末〟をする『葬儀屋』みたいなもの。会計士は、(会社が)生きている間に問題を扱うから『医者』みたいなもの」という従兄弟のアドバイスで、公認会計士を目指す決意が固まりました。実に〝言い得て妙〟のアドバイスだったと思います。

数字のことだけじゃなく経営には「人間力」が必要だ

2度目の試験で公認会計士の資格を取得し、その当時は国内屈指の規模だった監査法人に入所。ところが、そこはパワハラ・モラハラ何でもアリの、めちゃくちゃに人使いの荒い職場でした。やり方を教えてもらえないまま、「やれ!」と言われたので調書をまとめたら、「出来てないじゃねーか!」と書類を投げ捨てられたり、いきなり言いつけられて作成した監査報告書を、目の前で破り捨てられたり…。トータルで8年間勤務しましたが、なにしろメンタルだけは強くなりました。

この職場に居続けても出世はないな…と見切りをつけ、税理士をやっている友人の紹介で、郷里・熊本にある税理士法人の事務所に転職。しかし、ここでもまた、しばらくは不遇の時期を過ごします。本部(熊本)は人が足りているので、福岡で事務所を立ち上げろ、との指令をいきなり出されたのです。顧客はゼロ、人脈も無しのエリアです。

取りあえず、ホームページとパンフレットを製作し、あちこちの銀行に預金口座を作り、「口座を作ったので支店長に会わせてくれ」と、飛び込みで営業しまくりました。高校時代、歴史系ばかり勉強していたおかげで、『まず大将から狙え』という戦の定石を知っていましたので、地場トップの銀行を必死で取り込みました。

その結果、ようやく仕事が入るようになり、1人きりの事務所ながら、1年目で2500万円の売り上げを記録。2年目からは、事務所を紹介してくれた友人と組んで動くようになったことで、売り上げは約2億円に拡大します。ただ、仕事が大きくなるとスタッフも増やさねばならないわけで、問題のある人材まで紛れ込んでしまいました。さらに、本部の所長の不祥事が発生し、上を下への大騒ぎに。最終的に社内クーデターの様相となり、熊本の本部は福岡の事務所だけを私に残し、私を斬り捨てることで事態の収拾を図る計画だったようです。

そんな状況でも、私についてきてくれた2人のスタッフとともに、08年「いちご会計事務所」を設立。実はこの2人、私が本部と分離する際、自ら「足立さんについていきます」と申し出てくれたのです。それなのに私は当初、給与を払える自信が無かったので、辞めてもらおうと考えていました。しかし、「その人たちを逃してしまったら、次はもう、そんな縁は無いぞ!」という友人のアドバイスで、考えを改めました。

結果的に、今のいちご会計事務所があるのは、この2人の助けのおかげと言っても過言ではありません。人というのは、理屈や合理性ではなく、感情で動く。だったら私も、人間力を高め、数字を見るだけでなく「人」を大事にする経営に徹せねばならない…。そのことを独立後に痛感し、今でも私の信条の1つになっています。

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