株式会社リフラックス 代表取締役 濱田憲一
http://reflux.jp
良い人間関係を築くことが良い仕事と信頼を引き寄せるカギ
ファミコン禁止!の幼少時代PCで自作ゲームを制作
プログラミングに出合ったのは小学生のころ。当時一般家庭では珍しかったパソコン(PC-9801)を指して、父が「これでゲームを作ればいい」と勧めてきました。ファミコンが買ってもらえなかった私は、ゲームがやりたい一心で、雑誌片手にプログラミングに没頭(笑)。簡単なゲームが作れるようになり、中学生になるころにはある程度プログラムも組めるように。そのころパソコン通信にも初めて触れ、自宅にいながら海外の人とコミュニケーションを取ることも覚えました。英語もわからないなりに一生懸命海外の人との会話をしていましたので、何にでも飛び込む度胸はある方だと思います。
中学、高校は運動系の部活に打ち込みつつ、家ではしばしば父の仕事を手伝い、「プログラミングで仕事をする」ことがどういうことかを学びました。大学時代にはアルバイト先のプール施設で、複雑な人員配置を効率化するためのプログラムを作成。それまで2~3時間かかっていた作業が、ほんの10分でできるようになってとても喜ばれました。自分が作ったものを喜んでもらえた瞬間ほどうれしいものありません。こうして小さな自信を積み重ねていたので、学生のころは将来のことを真剣に考える機会は少なく、「プログラミングできるから食うには困らないだろう」とボンヤリ考えていました。
大学4年で地場大手のスーパー『TRIAL』のシステム部門の関連会社に就職が内定し、入社までの間に大学の助教授の誘いでバドミントンを始めました。最初は女性にも負けるほどの弱さだったのが悔しく、持ち前の凝り性を発揮して研究と練習を重ねました。現在でも仕事と同じくらい大切で、大好きなスポーツのひとつです。仕事や趣味も含め、現在の私の基礎はこのころにできあがったように思います。
社会人2ヶ月目で海外赴任人生において大きな収穫を得る
入社から1カ月ほどたったある日のこと、社内で「中国に拠点を立ち上げる」という話が持ち上がりました。私のモットーは〝後悔したくない〟です。社歴の短さにもかかわらず突き動かされるように立候補。そして山東省煙台の拠点の立ち上げに参加し、中国人の部下を数人持つことになります。彼らはとても優秀でした。にもかかわらずお給料は私の10分の1。そのお金で出身村へ恩返しをしていると知り、ショックを受けました。さらに数カ月後、新事務所として瀋陽市へ移動したのですが、そこで下半身のない物乞いの少女に遭遇しました。彼女は現地マフィアの大人たちに金を巻き上げるための道具として使われる子どもだというのです。日本ではとても信じられない光景でした。これが同じ時代を生きる人なのかと、あまりにも大きなショックを受けました。この一件の後、「この格差は何だ。自分は今までなんて能天気に生きてきたんだ」と勉強不足を痛感。視野を広げたい、世界のことを勉強したい、と今までにない勢いで多数の本を乱読しました。おかげでやっと人並みになれたような気がします。
中国時代、仕事の上ではもう一つ大切なことを学びました。それは「仕事以外の時間」を持ち、人とのコミュニケーションをしっかりと取ることです。現地の部下と一緒に買い物に行ったり、部下の家で餃子を作ったり、多くの時間を共に過ごしました。彼らは瀋陽への異動が決まった時も、大連に異動になった時も、私についてきてくれ、大きな力になってくれました。瀋陽の事務所では韓国人チームが加わったのですが、そのチームが数カ月後のある日、全員出社拒否してしまったのです。原因は、私のコミュニケーション不足でした。中国人の部下とは信頼関係を築けて取れていただけに、この出来事は今でも苦い思い出として胸に引っかかっています。人間関係を育むことが、ひいては良い仕事を生むのだと、この時に心底痛感しました。
すべての基本は「人」にあり楽しんで働ける場を提供したい
2年ほどの中国滞在を経て帰国後、社内の配置転換を機に退職。それまでの仕事の中で、「せっかくシステムを作っても実際の現場で活用されていない」という事例をしばしば目にしました。原因は現場のニーズを制作の上流にあたる「営業」にあります。そこで、次は営業職をやってみたいと、片っ端から営業の面接を受けました。ところがこれなかなかうまくいかず、ITコンサル企業に就職することになります。1年ほどプロジェクトマネジメント(PM)を学んだ後、福岡事務所の閉鎖に伴い再び退職。いったんフリーを選び、ビジネスマーケティングの会社にお世話になりながら、マーケティングの基礎を学びました。その後「やはりコンサルティングをもっと勉強したい」と再び就職。その会社は企業のプロセスを見える化し、効率やコストの改善を図って、浮いたコスト分をコンサル料として頂いていました。その額は決して小さくありません。せめて月額分の働きはしたいと手を尽くしていたところ、会社からは「改善事項を小出しにせよ」との命令が。私は暗い気持ちになり、「果たして気持ちの良い仕事と言えるのか」と悩みました。先ほど述べたように、仕事以前に大切なのは「人」です。利益のみを追求して人を大切にできない企業にこのままいても、良い未来は描けないと思い、結局退職を決意しました。
じゃあ次はどうしよう、企業へ就職するか、独立するかという選択を前に、それぞれを選んだ先の人生を描きました。そして「これからはワクワクする、後悔しない生き方をしたい」と独立を選択し、2014年に(株)リフラックスを設立。これまでに積み上げてきたプログラミングやPM、コンサルのスキルなどを武器に、業務プロセスの改善、見える化、効率化のためのアプリやシステムの開発等を展開しています。一方で、世界にたくさんいる優秀なエンジニアと仕事がしたいと考えていました。プロである彼らとチームを組み、安定的に仕事を提供したい。そこでクラウド上のチャットのみですべてのタスク管理や、工程管理、進行、完成まで完結できる仕組みを開発しました。これにより、より安価でより質の高いサービスをお客様に提供できるようになったのです。
どこで仕事をするかではなく、誰と仕事をするかが、良い仕事の決め手。そんな当社のモットーは〝 働くをもっと楽しく〟です。私の周りのすべての方が喜んで働ける環境づくりに注力することで、お客様がより満足できるモノを提供できるようになれば、この上ない幸福です。
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