ライフプランナー 後藤嵩央
本気でぶつかり合える相手にしか私の保険は勧めたくない
習い事だらけの少年時代からバイト三昧の一人暮らしへ
カギっ子だった子ども時代、自宅で空き巣狙いの強盗と鉢合わせになり、あやうく殺されかけた経験があります。安っぽいサスペンスドラマのようですが、本当の話です。首を絞められて早々に失神したおかげ(?)で、強盗はさっさと引き上げたようですが、その体験が、その後の私の人生を決めたように思えます。
七宝焼きの街である愛知県あま市で生まれた私は、父母ともに教師という家庭環境の影響で、厳しく、しかし大切に育てられました。ただ、成績はそれほど優秀ではなかったので、高校卒業後は取りあえず、自分でも受かるレベルの大学に進学。生活費はバイトでやりくりする約束で一人暮らしを始めたので、在学中は肉体労働系のアルバイトに明け暮れました。おかげで、体力と根性だけはしっかり身に着いたように思えます。
大学ではマーケティングを専攻していたので、就活時期になると同じ学部の友人たちは、流通や小売り系の企業を訪問し始めました。しかし、子ども時代に殺されかけた経験のある私は、最初から警備会社への就職を志望してALSOKに就職。警備会社スタッフとしての生活がスタートします。
音を立てて崩れ去った、ささやかだけど幸せな日々
守れる命を守りたい…そんな理想を掲げて就職したものの、いざ仕事を始めると、コンビニ店頭でたむろしているヤンキーを追い払ったり、銀行ATMの前に転がっている異物を片付けたりと、「命を守る」ような仕事はありません。ただ、社内の人間関係は良好で、決して高額ではなかったものの、給与も安定していたので、30歳で結婚することができました。何より、セキュリティシステムの営業を通じて、事業経営の方々と親しくなれることが、私に大きな喜びをもたらしてくれました。
ところがある日、平穏な毎日を根底からひっくり返す事件が起こります。妻の父親が経営していた会社が倒産し、約3億円の負債を抱えてしまったのです。義父の自己破産で債務はいったん片付いたものの、義父母の住宅は競売にかけられたため、やむなく私たち夫婦の部屋へ。ちょうどその頃、妻の妹夫婦も病気で仕事ができなくなり、義父母の家で厄介になっていたため、築40年ほどの小さなマンションに3世帯が同居する、かなり異常な状態がスタートします。
間が悪いことに、妻も妊娠中で働けなかったため、私の収入だけで3世帯分の生活費をまかなわねばならなくなりました。自宅に戻ってもくつろげるはずはなく、妻からは生活費の相談ばかり…。ALSOKの営業を通じて親しくさせてもらっている社長さん方から、「大変らしいね、晩メシでも食べに行くか?」と声をかけていただき、ご飯を食べさせてもらうひとときが、唯一の救いでした。
守れない保険ってなんだよ!営業担当者、何やってんだよ!
そんな折り、特に可愛がっていただいていた社長から電話がかかってきたのですが、その日の電話は、食事の誘いではありませんでした。末期ガンが発見されたので、今後は一緒に食事に行けなくなるかもしれないという、悲しい連絡でした。
その数日後には、「生命保険を解約しようと思う」という相談を受けました。保険があることに甘んじて、闘病する気持ちが折れてしまいそうだから…と、実に社長らしい言葉でしたが、いやいや、それとこれとは別問題。万が一の時、残された家族を守るための保険なのだから、絶対に解約しないよう強く念押しさせてもらいました。
しかし、願いむなしく社長は9ヵ月後に他界。葬儀の際、私が勧めた銘柄で、社長も“ウマいな!”と言いながら一緒に吸っていたタバコが、棺桶の中にたくさん入れられているのを見て、生まれて初めて“男泣き”しました。その後、社長の奥さんから、社業をたたむのでALSOKのセキュリティ契約を解消したいとの連絡。それは致し方ないけれど、せめて、奥さんとお子さんを守ってくれるはずの、例の保険金は支払われたのか確認すると、なんと社長は、亡くなる3週間前に保険を解約していたとのこと。「絶対に生きる。おまえたちを必ず守る」と、私に内緒で解約したのだそうです。
それを聞いた時、社長が契約していた保険会社に対し、本気で腹が立ってきました。保険屋、何やってるんだよ!客を叱り飛ばしてでも解約を阻止するのが、『お客様を守る』ということだろう!なんだよ、保険って…。
そんなことを自問自答しているうち、だったら俺が保険屋になろう、俺が保険のあり方を変えていこうという気持ちがふつふつと芽生え、自分自身が初めて納得して加入した保険である、プレデンシャル生命保険への転職を思い立ちました。そのことを最初に相談した社長の奥さんからは、私は保険屋が大嫌いだけど、あんたが保険屋になるのなら、私は応援するとの言葉をいただきました。亡くなった社長に転職のきっかけを与えられ、奥さんに背中を押してもらったわけです。
大切な人を守りたい だから、誰にでも保険は売らない
ちょうどその時期、私は妻と別居して“宿無し”状態でした。顔を合わせると、どうしてもお金の工面の話になって衝突してしまうからです。その状況を社長の奥さんも知っていて、応援すると言ったからには、住む場所くらいは提供する、亡くなった主人の部屋が空いているし、ご飯くらいは作ってあげるから…と、その時の私にとっては、何よりも嬉しい言葉をいただきました。
世の中には、そんな優しいことを言ってくれる人がいるんだ。保険屋で稼げるようになったら、別居中の妻と子供に仕送りして、残りは全て奥さんに渡そう。そして、たくさんの方々に助けていただいた恩返しに、渡したうちの2割は恵まれない子どもたちのために募金してもらおう…。そんな決心を胸に、現在の生活に至っています。
別居している妻との間にもうけた子どもと、亡き社長が可愛がっておられた子ども。今の私には、2人の子どもがいます。その両方を、私は同じように愛し、守りたいと思っています。家族が2組あるような、はた目にはちょっと変わった状態かもしれませんが、私にとっては今の生活が、『大切な人を守る』という信念を具現化したものだと考えています。
わたしの仕事を紹介させてください
保険会社に転職したきっかけをご覧いただいたように、私は保険会社の営業職でありながら、本気でお付き合いできて、何でも相談してもらえる方にしか、保険を勧めていません。
大切な友人や大切なご親戚を紹介いただき、真剣に話ができる相手にだけ、その方をきちんと守れる保険を提案するのが、私のモットーです。そんな営業スタイルなので、“困ったときのゴトウ”ではありませんが、保険以外のご相談を良くお受けします。小規模事業の経営者から、利益を上げる対策や社員教育について意見を求められたり、ご年配のお客様から「机を動かしたいんだけど、重くて持てないから手伝って!」などというご連絡をいただくこともあります(笑)。
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